国際社会・政治

日本が米国と交わした「3つの密約」-機密解除された「指揮権密約」は現在もまだ生きている

原口衆議院議員 4/10衆議院財務金融委員会にて


じつは「日本」は「完全な属国」だった…
日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」

出典:講談社 矢部 宏治氏|2023/11/17

(中略)
じつは戦後の日本とアメリカのあいだには、第五章で書いた、

裁判権密約

基地権密約

のほかに、もうひとつ重要な密約のあることが、わかっていたのです。それが、

指揮権密約

です。その問題について一度歴史をさかのぼって、きちんと調べてみたいと思っていたのです。

指揮権密約とは、一言でいってしまえば、「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」という密約のことです。「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」とお怒りの方も、いらっしゃるかもしれません。

しかし日米両国の間に「指揮権密約」が存在するということは、すでに36年前に明らかになっているのです。その事実を裏付けるアメリカの公文書を発見したのは、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一氏で、1981年に雑誌『朝日ジャーナル』で発表されました。

それによれば、占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭でその密約を結んでいたのです。

「指揮権密約」の成立

次ページに載せたのは、その一度目の口頭密約を結んだマーク・クラーク大将が、本国の統合参謀本部へ送った機密報告書です。前置きはいっさいなしで、いきなり本題の報告に入っています。

「私は7月23日の夕方、吉田氏、岡崎氏〔外務大臣〕、マーフィー駐日大使と自宅で夕食をともにしたあと、会談をした」

まずこの報告書を読んで何より驚かされるのは、米軍の司令官が日本の首相や外務大臣を自宅に呼びつけて、そこで非常に重要な会談をしていたという点です。占領はもう終わっているのに、ですよ。

これこそまさに、独立後も軍事面での占領体制が継続していたことの証明といえるようなシーンです。しかも、そこに顔を揃えたのは、日本側が首相と外務大臣、アメリカ側が米軍司令官と駐日大使。まるで日米合同委員会の「超ハイレベル・バージョン」とでもいうべき肩書きの人たちなのです。

「私は、わが国の政府が有事〔=戦争や武力衝突〕の際の軍隊の投入にあたり、指揮権の関係について、日本政府とのあいだに明確な了解が不可欠であると考えている理由を、かなり詳しく説明した」

つまり、この会談でクラークは、

「戦争になったら日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、はっきり了承してほしい」

と吉田に申し入れているのです。そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。

「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。同氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」

戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。こうして独立から3ヵ月後の1952年7月23日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。

ここで記憶にとどめておいていただきたいのは、吉田もクラークもマーフィーも、この密約は、

「日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきである」

という意見で一致していたということです。

結局その後も国民にはまったく知らされないまま、これまで60年以上経ってしまったわけですが、考えてみるとそれも当然です。

外国軍への基地の提供については、同じく国家の独立を危うくするものではありますが、まだ弁解の余地がある。基地を提供し駐留経費まで日本が支払ったとしても、それで国が守れるなら安いものじゃないか──。要するに、それはお金の問題だといって、ごまかすことができるからです。

しかし、軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」ですので、絶対に公表できない。

そもそも日本はわずか5年前(1947年)にできた憲法9条で、「戦争」も「軍隊」もはっきりと放棄していたわけですから、米軍のもとで軍事行動を行うことなど、公に約束できるはずがないのです。

ですから、1951年1月から始まった日本の独立へ向けての日米交渉のなかでも、この軍隊の指揮権の問題だけは、徹底的に闇のなかに隠されていきました。

この「戦時に米軍司令官が日本軍を指揮する権利」というのは、アメリカ側が同年2月2日、最初に出してきた旧安保条約の草案にすでに条文として書かれていたもので、その後もずっと交渉のなかで要求し続けていたものでした。

しかし、日本国民の目にみえるかたちで正式に条文化することはついにできず、結局独立後にこうして密約を結ぶことになったのです。

その後アメリカは、占領中の日本につくらせた「警察予備隊」を、この指揮権密約にもとづいて三ヵ月後、「保安隊」に格上げさせ(1952年10月15日)、さらにその2年後には2度目の口頭密約(1954年2月8日:吉田首相とジョン・ハル大将による)を結び、それにもとづいて「保安隊」を「自衛隊」に格上げさせ(同年7月1日)、日本の再軍備を着々と進めていきました。>> 続き全文を読む

関連過去記事:

2015/03/14
鳩山由紀夫氏:首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体/『それはつまり「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということ』

「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」で話題の矢部宏治が鳩山友紀夫と“日本の真の支配者”を語った!

民主党・鳩山政権の崩壊と沖縄の基地問題を出発点に、日本の戦後史を振り返った話題の新刊『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)の著者・矢部宏治(やべ・こうじ)氏。そして、まさにこの本を執筆するきっかけとなった鳩山友紀夫元首相。

矢部:鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?(中略)在日米軍と日本のエリート官僚で組織された「日米合同委員会」の存在は、当時ご存じなかったということでしょうか?

鳩山 お恥ずかしい話ですが、わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。

矢部 日米合同委員会は基本的に占領以来続く在日米軍の特権、つまり「米軍は日本の国土全体を自由に使える」という権利を行使するための協議機関なのですが、この組織が60年間続いていくうちに、そこで決まったことには、もう誰も口出しできないという状況になってしまった。なかでも一番の問題は、日米合同委員会のメンバーである法務官僚が、法務省のトップである事務次官に占める割合は過去17人中12人、そのうち9人が検事総長にまで上り詰めている。つまり、米軍と日本の高級官僚をメンバーとするこの共同体が、検察権力を事実上握っているということなんです。(中略)

鳩山 それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。(⇒全文を読む