キリスト教カトリック教会のローマ教皇フランシスコが死去、88歳
出典:BBC|2025/04/21
キリスト教カトリック教会のローマ教皇庁(ヴァチカン)は21日、教皇フランシスコが亡くなったと発表した。88歳だった。前日に復活祭(イースター)のミサのため聖ペトロ広場に出たのが、信者の前に姿を現した最後となった。
約14億人のカトリック信者が教皇の死を悼む中、世界中で礼拝が行なわれている。また、ヴァチカンの聖ペトロ広場やローマのサンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂では、故人をしのんで祈る礼拝が教皇のために行われ、大勢が参列した。
ヴァチカンは21日午前9時47分、教皇が現地時間午前7時35分(日本時間午後2時30分)に亡くなったと発表した。同日夜には、脳卒中と不可逆的な心不全が死因だったと明らかにした。
ケヴィン・ファレル枢機卿は午前の発表で、「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、深い悲しみをもって、私たちの教皇フランシスコの逝去をお知らせしなければなりません」と述べた。
「(現地時間)7時35分、ローマ司教フランシスコは、天の御父のもとに帰られました。教皇の全生涯は、主と、その教会への奉仕に捧げられたものでした」、「教皇は私たちに福音の価値を、忠実と、勇気、普遍の愛をもって、特に最も貧しい人々や疎外された人々への配慮のもとに、生きることを教えられました」とファレル枢機卿は述べた。教皇はローマ司教でもある。
枢機卿はさらに、「主イエスの真の弟子としてのその模範に計り知れない感謝をささげつつ、教皇フランシスコの魂を三位一体の神の限りなき慈しみの愛に委ねましょう」と追悼した。
ファレル枢機卿は教皇空位期間の管理責任者「カメルレンゴ」として今後、新教皇が決まるまでヴァチカン市国の教皇庁などの管理を担当する。

教皇は過去に胸膜炎を発症し、21歳のときに肺の一部を摘出していたため、細菌やウイルス、真菌によって引き起こされる肺炎に特にかかりやすかった。
カトリック教会の最高指導者としての12年間にも、何度も入院した。今年2月には感染症による重度の肺炎で入院し、5週間の治療を経て先月、退院したばかりだった。
教皇は最後の数週間も公の場に姿を見せた。復活祭を前にした聖金曜日と聖土曜日の礼拝は欠席したが、聖木曜日にはレジーナ・チェリ刑務所を訪問した。しかし、囚人の足を洗う伝統行事には参加しなかった。
死去前日の20日には、復活祭の式典のため、聖ペトロ大聖堂のバルコニーに車いすに乗って登場。広場に集まった群衆を前に、「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます」と祝福していた。さらにその後は、専用車に乗って信者を祝福しながら聖ペトロ広場を回った。
ヴァチカン高官が代読した復活祭メッセージの中で教皇は、 「信教の自由のないところ、思想や言論の自由、他者の意見の尊重のないところに、平和はありえません」と述べた。
また、「世界各地のさまざまな紛争の中で、どれほど多くの死が望まれていることでしょうか」と、平和を呼びかけた。
1936年12月にアルゼンチン・ブエノスアイレスでホルヘ・マリオ・ベルゴリオとして生まれた教皇は2013年3月、前任のベネディクト16世が異例の辞任をしたのを受けて、南北アメリカ大陸および南半球から初めて教皇になった。
非ヨーロッパ系の教皇としては、741年に死去したシリア出身のグレゴリウス3世以来だった。また、イエズス会の神父としても、初の教皇だった。
教皇フランシスコの活動には「初めて」が多く、教会に改革を導入することを止めなかったが、伝統主義者の間でも人気を保っていた。

遺言で質素な葬儀と埋葬を指示
教皇フランシスコの遺体は、教皇就任後に住むことを選んだヴァチカンのゲストハウス、「聖マルタの家」内にある礼拝堂に移される。「聖マルタの家」は、歴代の教皇が暮らした使徒宮殿の豪華な居室とは対照的な、機能的なしつらえになっている。
「カメルレンゴ」の役職をもつファレル枢機卿は21日夜、他の高位の教会関係者や教皇の家族と共に、教皇の死亡を公式に確認する儀式を執り行う。
その後、教皇の遺体は聖ペトロ大聖堂に安置され、弔問客が参列して敬意を表する。葬儀は通常、教皇の死後4~6日以内に行われる。
21日夜には、教皇の公邸の扉が封印された。また、カメルレンゴを務めるファレル枢機卿が、教皇の居室を赤いリボンで施錠・封印し、封蝋(ふうろう)で覆った。

教皇の葬儀は豪華に執り行われるのが伝統だが、清貧を重んじたアッシジの聖フランチェスコにちなんだ教皇名を選んだ教皇フランシスコはあらかじめ、自分の棺(ひつぎ)は簡素な木のものにするなどの手順を指示していた。
また、亡くなった教皇の遺体は従来、聖ペトロ大聖堂の棺台に安置されるのが伝統だが、これについても教皇フランシスコは、自分の遺体はふたを開いた棺に納めたまま安置し、信者の追悼を受けられるようにするよう指示していた。
21日にヴァチカンが発表した遺言で教皇は、ヴァチカン市国内ではなくローマのサンタ・マリア ・ マッジョーレ大聖堂に埋葬されることを希望していた。多くの前任者はヴァチカンの聖ペトロ大聖堂を選んでいた。教皇がヴァチカン以外に埋葬されるのは、100年以上なかったこととなる。
また「墓は床に設けられ、特別な装飾なしに、唯一「Franciscus」との表記を持つものでなければならない」と指示している。

フランシスコ教皇の死により、新しい教皇を選ぶための「教皇選挙会議(コンクラーヴェ)」が開始される。この選挙は通常、教皇の死後15日から20日以内に行われる。
新しい教皇が選出されるまで、教会の運営は「枢機卿団」によって行われる。カトリック教会の枢機卿は現在252人。そのうち80歳未満の135人が、コンクラーヴェへの参加資格を持つ。
枢機卿団はローマに集められ、秘密投票に参加する。彼らは合意に達するまでヴァチカンに閉じ込められ、外界との通信が遮断される。最初は135人のうち3分の2以上の支持を得た枢機卿が出るまで投票が続けられ、30回目までに決まらなければ、単純過半数で決まる。
選挙の結果は、教会の方向性を数十年にわたって決定する可能性がある。教皇フランシスコは前任者よりも、地理的および神学的に多様な背景を持つ枢機卿を大勢任命していたため、コンクラーヴェの結果は、従来よりも予測が難しいかもしれない。
教皇フランシスコは2013年3月に、5回目の投票で選出された。前任のベネディクト16世は2005年に4回目の投票で、その前のヨハネ・パウロ2世は1978年に8回目の投票で選ばれた。
https://www.bbc.com/japanese/articles/czrv4l46771o
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