宇宙・地球環境意識・思想・文化

先住民族・ホピ族に聞いた生命の起源|宇宙文化と大麻のはなし|中山康直氏

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出典:麻ことのはなし―ヒーリングヘンプの詩と真実
(著者:中山康直氏|初版:2001年10月10日)
未来文化と大麻の話 P125~

「三の章 宇宙文化と大麻のはなし」

 「イムベ」とは、縄文ムー文明時代に活躍した天体祭祀を行う一族で、忌部族のルーツにあたります。縄文ムー文明時代とは、スメラミコトの系譜でいえば、ウガヤフキアエズチョウの頃のことで、惑星間の文化交流をもち、非常に高度な文明を築いていました。
 芸術的で宇宙的なテクノロジーをもつイムベの民は、スメラミコトをサポートすることで、古来から地球のバランスに貢献してきました。
 四国の山中に磐座遺跡として残っている巨石文化の場は、イムベから忌部へとつながる永い歴史を通して歳祀を行ってきた場所です。イムベ族はムーの部族でもあり、ムー文明でも祭祀を司っていましたから、末裔の忌部氏も縄文ムー文明の痕跡である磐座が残存している四国において、祭祀を執り行うことになります。
 イムベのルーツは、ムーの時代よりもさらに超古代のアワ(現在の徳島県)の地にスメラミコトと共に降臨した存在です。他の天体のエネルギーが、地球上の精妙な地に同調して、三次元の肉体をもった人間として、ここに現象化したのです。
 異世界のものが異世界に行って、スピリットを体現して帰っていくこともまた、自己の意識を広げるためのひとつの学習であるのかもしれません。
 かぐや姫の物語のように、他の星から降りてくることは、文化を発展させる意味でも、お互いにとって有意義なことなのでしょう。
 超古代とは、このような降臨が何回もあったと思われますが、なぜ人間の形に現象化したかといえば、その時の状態において、この地球上での使命と目的を遂行していくために、もっともふさわしい形であったということです。
すなわち、肉体はスピリットを乗せて運ぶためのスペースシップでもあるのです。
 「竹内文書」によると、スメラミコトの系譜は、宇宙創造後、テンジン七代、ジョウコ二十五代、ウガヤフキアエズチョウ七十三代、カンヤマトチョウ百二十六代、今上天皇までを万世一系としています。
 ジョウコ一代目で多くの皇子皇女が誕生、完全衣食住が完備し、薬草、マジナイ薬を調合、大麻から紙や繊維を作り、炭をつくり、円鏡、剣、飛行船も造られました。そのジョウコ一代目は、三千百七十五億年前で、アメノヒダマの国からスメラミコトは飛来してきたと記されていますが、これは地球がいくつもの次元をもった多重次元構造になっていることを示しています。
 いい方を換えれば、現在の地球文化かつ現実社会は、現代の科学や社会の流れ及び人類のものの考え方によって見えているだけであり、異なる次元の認識をもっていた超古代には、現代とはまったく違った地球文化や宇宙感があったと考えられるのです。
 今の地球次元に少し近づいた頃に飛来したのは、ウガヤフキアエズチョウにスバル座から金星を経由して降臨したスメラミコトでした。
 四国の剣山(鶴亀山:つるきさん)付近に降りたエネルギーは、膨大なメモリーのDNAを有して物質化しましたが、このときの宇宙音を「アワ」という地名に残しました。
 秀真伝(ほつまつたえ)では「ア」は右巻きの渦、「ワ」は左巻きの渦で表し、宇宙始原の音アから始まって調和のワで終わる「アワ」が根源エネルギーだということを伝えています。
 スメラミコトと共にイムベも飛来してきました。このときスバル(プレアデス)の五十音からなる言語も伝承され、現在の日本の言葉のルーツになりました。

 この宇宙は三次元も五次元も含めていろいろな次元が重なって存在しているのですが、今の地球がたまたま三次元と呼ぶ姿に見えているのは、地球の共通意識が、そこにチューニングし、そのように創り上げているからです。
 今は物質文明の時代ですから、意識が物質にチャンネルを合わせています。そのような共通意識から少しシフトして意識をつくれる人は、違った次元にチャンネルを切り替えて、違った世界に身を置くこともできるのです。
 五次元と三次元では、まったく異なった文化ですから、普通には接触することはできないというのも、チャンネルの切り替え方がわからないだけで、もともとは高次元から飛来したわけですから、高次元にチャンネルを切り替えることも可能なのです。
 それを可能にしやすい空間が、神奈備山(かんなびやま)や祭祀場などの聖域や大麻や水晶などで浄化され、イヤシロチ化された空間です。その空間は意識をクリアーにし、エネルギーを集中させることに適していて、高次元の領域ともアクセスすることが可能になっています。
 その高次元の領域を我々の言葉で、クオークと呼ぶことができます。
 宇宙はクオークのレベルで共通していて、クオークレベルの次元であれば、ワンネス(単一)であり、ワンネスの空間から様々な次元の空間を構成していくことができます。
 DNAというのは、宇宙が生成し次元進化を繰り返していく中でつながっている、クオークの情報を有意義に運営していくためのメモリーです。DNA、つまり遺伝子の暗号から肉体に関する遺伝子情報を解読することは、今の科学でもほぼ解明されていて、細胞からクローンをつくることも可能になっています。
 しかし、DNAよりさらに振動波の細かいクオークレベルの情報は、多次元的に共通しており、そのクオークレベルの情報に働きかけることによって、時空間移動(テレポーテーション)ということも必要に応じて可能になってくるのです。
 高次元の領域に関与するには、クオークの状態で可能になります、ととえば、パソコンをつかって、平面に書かれた図面を立体画面に変えることも可能なように、脳の処理ソフト(意識)をバージョンアップして変更することで、違った次元にシフトすることが可能になるのです。

 スメラミコトがスバルから金星(ビーナス)を経由して飛来してきたことで、「ス」という音には特別な意味が秘められています。いくつかの言葉を羅列してみると、スメラミコト(天皇)、スシン(創造主)、スホム(天宮)、スベル(統べる)、スウコウ(崇高)、スピリット(宇宙精神)、スフィンクス(神の怪獣)、スペース(空間)、スメル(シュメール)、スバラシイ、スナオ、スジミチ、スミキル、スゴイ、ステキ、スズヤカ、スコヤカなど。
 そして、そのスの音がアワの音を共鳴し、アスワ(麻)となり、天体祭祀に大麻を活用していたイムベの世界と通じてきます。
 アワの天孫降臨の聖地を中心に、やがて世界に一大文明が広がっていきましたが、その時代の日本の地理的形状も今とは異なっていて、ユーラシア大陸やムー大陸とも一部でつながっていました。その時、ムー文明と縄文文明は同じ位置づけになっており、文化の交流もありました。ムー文明には、イムベとは別に飛来したカムナ族もいました。
 ムー文明において、イムベとカムナはアメノフトダマノミコトとアメノコヤネノミコトに対応する両極を体現し、天体祭祀を担当して。ムー文明のバランスを担っていました。ムー文明は何回もの繁栄と衰退を繰り返すことで、異なった複数の文化を数回にわたって広範囲に築いた非常に永い歴史をもつ文明であり、環太平洋の火山のエネルギーでつながったレイラインを結んで天空船や伝説の鳥が羽ばたく光の空路が存在していました。
 天空千が離発着する場所は神奈備山の磐座で、太陽、鳥、大麻などで共通していました。そして、それを裏づける痕跡を現在に残しています。その痕跡のある地域は、インディアンイムベ、インカイムベ、マヤイムベ、アステカイムベ、ガルーダイムベ、モアイイムベ、ケルトイムベ、エジプトイムベ、シュメールイムベとイムベをつけて呼んでも過言ではないほどに、イムベの循環科学が関与した痕跡と共通文化を有していました。
 ムー大陸にムー文明を築いたイムベは、ある時期にエジプトやシュメールの地域に移り住みました。ムーからエジプトやシュメールに移住しなければならない重大の理由は、ムー大陸の大変動にありました。それにより、ムーの文化は世界に広がり、各地にピラミッドやジグラットなどの神殿の建設の必要性が生まれました。
 このように、古代四大文明が発祥した裏には少なからず、天体祭祀文化のイムベの影響があったと思われます。

 ピラミッドの建設は天体祭祀の祈りを通し、宇宙のサポートと特殊な能力を活かして、考えられないほどの芸術的な方法で石組を造っていきましたが、そのときにイムベ族が祭祀を担当し、その他の部族や民は、他の様々な仕事を担当して共同でピラミッドを建設しています。
 ピラミッドは王の墓ともいわれていますが、墓として使用されたのはピラミッドが造られてから後の時代のことであり、イムベが各地のピラミッドの建設に関与した目的は、天体や宇宙と一体となり、惑星周期に基づく時間の流れや宇宙の情報を地球の文明に取り入れるための空間づくりを天体祭祀文化の広がりにともなって、地球規模ですすめていくことが必要になったからです。
 メソポタミアにシュメールの都市国家ができたのは、今から四千八百年ほど前とされていますが、シュメールの根源は、さらにその昔の縄文ムー文明にあって、文化が広がっていった中で古代ユダヤやシュメール文化などと連動していきました。
 シュメールの後にバビロニアの空中都市に代表されるように、バビロニア文化が栄えた時代が三千八百年ほど前にあります。
 古代ユダヤの失われた十部族の一つがアフリカに逃れて文化を発祥させたエチオピアに、その起源をもつラスタファリアニズムという思想がありますが、ラスタファリアンたちは今の社会をバビロンと呼んでいます。彼らにとってバビロンとは、エゴ的な意識が台頭した支配的な文化形態のことで、都市はすべてバビロンであり、石油を中心にい経済を発展させようとする考え方などはバビロンシステムとなります。
 そのバビロニアで使われていた暦をヒントにして、グレゴリウスがつくったグリゴリオ暦が、キリスト教の流れにのって、全世界的に広がったのが、今使われている不規則な暦です。
 宇宙の時間は自然な流れですから、完全に天体のサイクルに基づいているマヤに代表されるような暦は、その昔、イムベなどの古代人がもたらした時間芸術です。
 エジプトの王ラムセス二世のミイラの上に、大麻の花粉が撒かれていたことが確認されています。また、ピラミッドの石と石のつなぎ目に大麻の繊維が発見されています。
 二の章の古代文化と大麻のはなしの「太陽信仰ピラミッド文化」の項でも少し検証しましたが、いったい、何のために使われたのでしょうか。
 天体と交信しやすくするための大麻の意味を知っていたイムベは、石と石の間に大麻などを活用して、つなぎ合わせることで、石の接触面を調整して密着させることに使い、それにより、宇宙(天)とピラミッド(地)がつながりやすい状態を創っていたと思われます。
 これらは、イムベのもつ植物と鉱物を使った天体祭祀のテクノロジーといえます。

 イムベの文化は、エジプト、ユダヤ、シュメールを中心に各地に受けつがれていきました。
 アッカドのサルゴンがシュメールを征服したのが四千三百七十年程前、この時代の頃になると、次第に地球全体の重力波動が増し、天空船ではなく会場船による航海が主流になっていきました。
 シュメールからさらに東に向かったイムベは、海を渡って四国にたどり着きました。四国の磐座のルーツは超古代の縄文ムー文明ですから、自分たち忌部のルーツに関係する磐座の痕跡を利用して、再び祭祀を執り行うことになるのです。
 この時代からイムベに代えて「インベ」と呼ぶことにします。
 インベの天体祭祀文化は、星々とコミュニケーションをとって、航海術、占星術、呪術などに使われましたが、遥かイムベの宇宙時代の頃の天体と一体になって、星そのものが自分であったという意識に比べると精度は低下していました。
 徳島県貞光町吉良にある忌部神社は、奥の陰である清頭丘山を含めた友内山一体を御神体として鎮座しています。しかし、表の顔としての忌部神社に参詣に訪れる人も奥の院の磐座までは登ってはいきません。磐座の祭祀場の岩には盃状穴(はいじょうけつ)もあり、古代からインベ祭祀文化のポイントになっていましたが、今は自然に同化し、わかりにくくなっています。
 祭祀場には列石やリンガムの岩があり、石で組んだ超古代のジグラッド形態ともいえる石の長い階段が太古の神殿を思わせます。
 天体祭祀の神事では、盃状穴に大麻の種や薬草をいれて、マジナイ棒ですりつぶし、神々にささげ、大麻を通して、天と地をつないで天体とのコミュニケーションを図りました。
 インベは磐座で祭祀を執るときに、トランス状態となり、意識体が天体とコミュニケーションをとり、高次元の情報と同調して一族繁栄の指針と参考にしていました。
 天体は身体の経路やチャクラなどとも対応しているので、各々の器官やチャクラと対応している星々とのコミュニケーションを図ることで精神的かつ肉体的な調整をすることもできました。
 インベは大麻を通じて自分のチャクラを全開にする奥義を体得していました。草花は天体とコミュニケーションをしていますが、チャクラは花びらと同じで、チャクラが開けば人も天体と交信することができます。
 シュメール系の海洋民は、天体との交信を海洋術に活かして、自分たちの位置、天候、潮の流れなど、現在のナビゲーションシステムに匹敵するような情報をつかんでいました。そして、そもそも自らに備わっている「天体ナビゲーションシステム」を発露させ、考えられないほどの速さで目的地に着くことができました。また、自分が宇宙とどの程度の調和度をもっているかということを知る参考にしていました。
 このような聖なる科学者の役割を担うインベ族は、光通信や天空船のメンテナンスなど宇宙的なエンジニアとしても活躍していました。

 剣山の山頂には、七十トンもの磨かれた巨石「宝蔵石」があり、太古の光通信ネットワークの痕跡をうかがわせています。
 光通信は各地の神奈備山の頂上やその周辺に数多く見られる鏡石と呼ばれるもので行われていました。広大な表面をもった石を平らに磨き、太陽の光を反射させ、山から山へと伝えるものです。ほとんどの場合鏡石は、垂直に立っていて、日の出か日の入り時に水平に走ってくる太陽光を水平直角方向に送るもので、平地が薄闇に包まれている頃、山頂ではキラリと輝いて遠くに伝わっていったのでしょう。
他にも太陽の高度との微妙な角度で光通信ネットワークを活用し、現代社会以上に情報化された本質的なコミュニケーションを行っていました。
剣山一体は、古代巨石文化の中枢センターでした。その磐座遺跡をスケッチして眺めていると、そこで行われた一大イベントであった祭祀の様子のイメージが浮かび上がってきます。
夏至や冬至などの祭祀は、数人のシャーマンによってではなく、大勢が参加して、各々が持ち場を担当しながら、一つの行事を心を合わせて行っていました。
そのためにも、光通信は非常に重要でした。さらには、光通信ネットワークでつながった剣山を囲む山々の祭祀場とも連動して行われていました。
その祭祀の重要な目的のひとつに、アメノトリノイワクスブネ(天空船)の離発着があったものと思われます。そして、祭祀場は管制塔の役割を担い、イムベが祭祀場で依り代としての神木などを使って祭祀を執り、天空船を誘導するように磐座に空中着陸させていました。
その離発着させること自体が御神事であって、御神事が成功することで、スメラミコトが天空船に乗り、世界中を巡回してバランス調整することができました。

カタカムナのウタの中に次のようなアメノトリフネに関するウタがあり、天空船の離発着の様子が見えてきます。

  アマカムナ
  アマカムヒビキ ツアツアツア
  イカツ オホワタ アメカムロ
  アメノトリフネ サヌキアワ
  ウマシアシカビ トビハッチ
  オホゲツヒコヒメ シナツヒコ
  アオヒトクサキ オホヒルメ
  ヤソシマムスビ アマ アナト

 これを読んでいるとアメノトリフネの離発着の様子が見えてくるようです。
 「アマ」は天や海であり、アラユルマということですから、宇宙に内在する現象系にある、あらゆるものをいいます。
 「カム」は形の見えない潜象系で、アマと重畳している五次元界ということです。
 「ナ」は中心となる存在のことで、「アマカム」の中心的存在を表し、自分を大宇宙と捉えたときには内なる自分と捉えることもできます。
 「アマカムナ」と多くのウタがこのフレーズから始まっていますが、この三次元の宇宙(アマ)、そして、五次元の宇宙(カム)と自分(ナ)との三位一体のつながりを表しているのでしょう。
 「アマカムヒビキ ツアツアツア」は三次元と五次元の空間が磐座の空間で交わり、ツアツアツアと音を響かせている様子を表しています。
 また、イムベの祈りの声が、このように聞こえたのかもしれません。
 「イカツ」は電気のこと。
 「オホワタ」の「オホ」は大きいという意味ですから、「イカツ オホワタ」で、電気が大きいワタのようになって充満している空間となったことを表しています。
 「カムロ」は、形の見えない空間で囲われた(口は囲い)という意味ですから、三次元空間の一部に五次元空間が重なり、区切られた空間をいうのでしょう。
 その空間に「アメノトリフネ」が降臨しました。
 「トリフネ」のもともとの意味は、「ト」は統合、「リ」は分離、「フネ」は二つの羽根という意味ですから、「アメ」つまり、クオークの状態に分離して再び統合し、物質化する時空間移動の乗り物という意味になります。
 「サヌキ アワ」という言葉が、膨張と収縮の二元性が統合された状態、つまり、そのものが生命エネルギーを発生させ呼吸し、循環した完全三位一体の法則として、アメノトリフネの飛行原理を表した言葉なのでしょう。
 「ウマシアシカビ トビハッチ」の「アシカビ」は葦と黴のことで、縦に伸びる葦、横に広がる黴ということから、縦横の意味を表わし、「ウマシアシカビ」で縦横無尽に飛来する様子を表しています。
 そして、「トビハッチ」の「トビ」は飛び、「ハ」は橋、箸、艀、梯子などのように、端と端を渡す思念があります。「チ」はつながる意味。「ハッチ」が宇宙船の昇降口を表す言葉ですから、「トビハッチ」は、飛んだと思った瞬間につながっているという時空間移動の状況を表した言葉であります。
 「オホゲツ」で物質化するという意味になりますが、「オホゲツヒメ」はアワの国の神名になっています。これは天孫降臨があったということを明確に伝えている言葉だと思われます。
 「ヒメ」は秘めですから、見えない次元のエネルギーが物質化して現われる様子を表し、「ヒコ ヒメ シナツヒコ」の「ヒコ」は次々にという意味で、「シナツヒコ」は続けてという意味です。
 「アオヒト クサキ オオヒルメ」の「アオ」は根源、現れる意味ですから、「アオヒト」で根源から発生した人の意味になります。
 「オホヒルメ」は、ひとつにとどまって発生しているという意味ですから、移動してきて現われるのではなく、人とか草木がその場所からポッと物質化のように自然発生してくるのでしょう。また、オホヒルメやオホゲツヒメは天照の分身名であります。
 「ヤソシマムスビ アマ アナト」の「ヤソシマ」は多くの島々、多くの場所という意味で、「ムスビ」は結ばれているという意味になります。
 「アマ」は天、「アナト」は穴の門という意味で、ドルメンが天に穴を開けてつながる岩戸の意味になり、管制塔の役割もあることから、アメノトリフネの離発着場になります。
 そして、船の港がミナトなら、アメノトリフネの発着場は「アナト」というように言葉の関連性がうかがえます。
 このように、カタカムナのウタにあるアメノトリフネのウタは、天空船の飛行メカニズムと離発着及び誘導操作のマニュアルのようなものだと考えられるのです。

世界中の巨石文化は、大麻、天日鷲、天使、鳥神、羽、天空船、太陽信仰文化などで共鳴しています。
 大麻と羽の関係は、たとえば、ネイティブアメリカンは鳥の羽をつけてサンダンスを踊りながら太陽に向かって羽ばたき、ツングースの人たちは鹿の恰好をして、まるで飛ぶように踊ります。
 鳥と鹿は天と地に対応しているシャーマニズムの象徴ですが、シャーマニズムの根源はイムベにあると考えられます。
 イムベが行っていた秘儀には、太占(フトマニ)と神籬(ヒモロギ)があります。
 ヒモロギというのは、神様を降ろしてくる大麻、すなわち依り代のことで、フトマニというのは鹿の肩甲骨を焼いて吉凶をみる占術でしたから、フトマニとヒモロギの奥義を用い、天空船の離発着を円滑にしていたということなのでしょう。
 古神道的には大麻は依り代といわれ、神様が寄ってくる目印や合図の作用をもち、同時に時空間の次元調整の役割も担っていました。羽を秘めている天空船がどこに向かうのかといえば、祭祀に使用されている大麻に向かって飛んでいきます。
 すなわち、羽根は葉根とも通じ、大麻のもっているバイブレーションと羽根のもっているバイブレーションが共鳴し、一致することで引き寄せられていったのです。

 磨くという字は麻と石の組み合わせであり、人の罪穢れを祓い、心を磨く意味にも通じます。この植物と鉱物の組み合わせに古代のテクノロジーの秘密が隠されていると思いながら四国の調査に入ったときにサヌカイトにめぐり合いました。
 大麻とサヌカイトは、非常に重要な組み合わせであるという直感がしています。
 サヌカイトは、今から約千三百年前の瀬戸内地域の火山活動で噴出した特異な火山岩とされていて、古代は石器道具などにも加工されていました。大阪の二上山、大分県の祖母山などでも産出されますが、サヌキの金山で産出されるサヌカイトは世界でも類を見ないほど素晴らしいものだといわれています。
 サヌカイトの現在の使われ方は、様々な形に加工して、一方の端面に溝を深く切り込み、さらに加工した物をつるして鐘のように鳴らしたり、木琴のように並べて打楽器として使われたりしています。共振する領域が非常に広いので、我々の耳に聞こえないほど非常に高いサイクルで常時共振共鳴して響いているということです。これらは、サヌカイトフォーンと呼ばれています。
 サヌカイトマウンテンこと讃岐の金山の地主であり、サヌカイトの分身のような研究科の方とその金山に入ったところ、山自体が常に振動している感じがして、この岩こそが天空船に関係があるのではないかと感じました。
 サヌカイトの音色は、セラピーとしても最適だと思います。
 この石に内在している調和の振動数は、叩くことによって、人間の器官やチャクラに働きかけて調整する作用をもっているようです。
 サヌカイトが非常に幅広い振動領域をもっていろいろな波動と共鳴するということは、サヌカイト自体が次元を超えた振動波を受診発信し、高次元のメモリーを有しているように思えるのです。
 アからワという音には様々な振動数が含まれています。その音霊のエネルギーがサヌカイトに秘められた音感コードにアクセスして天空船を誘導し離発着させることに関与した。そんな思いが夢のように広がってきます。
 サヌカイトの研究家片岡義一和教授は、「サヌカイトが、地表から数メートルの深さにしか散財しておらず、大きくても数メートルの塊であること、存在する場所が非常に狭いこと、石のエレメントがこの周辺に存在する他の石と著しく異なることなどから、サヌカイトは遠く宇宙からの贈り物ではないかと思うことがある」と書いています。
 ほんとうに、これは超古代に他の天体から、飛行体として四国に転送されてきた巨大な隕石と考えるだけで血が踊ります。
 サヌカイトの出す音は、お寺で読経に使うときの鐘の音色を放射した、いうなれば光の音色とでもいいましょうか。中国の天台大師智顗が鐘の音に乗って、天界を訪れたという逸話がありますが、お寺の鐘も罪穢れを音で祓い、天に行き来する音霊になります。
 「闇」という字から「音」を出すと「門」になります。この「門」に「鳥居」を入れれば「開」くという字になります。
 音を出して神様と共に神楽を興じることでクローズされていた闇の世界が開かれ、オープンになる。アマテラスが岩屋から出てきたときのように岩戸の門を開く方程式ができあがります。
 このように、開くときには必ず音を出すことが必要となってきます。音を出せば門になり、スターゲートになります。スターゲート約のドルメンが天空船の発着場のゲートなのです。
 サヌカイトの産出地であるサヌキと麻の産地であるアワは、二元性を象徴する相似的な地であり、超古代の飛行場として機能していました。
 サヌキという音には、差を抜くという意味があり、祭祀によって、天と人と地の次元の差を取るサトリと考えられます。次元の差をなくして天空船を離発着させる法則が、サヌキのサトリでありました。さらに、サヌキとアワのサトリは、サヌカイトと大麻のサトリ(二元性の統合)によって、「天地人」の三位一体を体得することです。
 すなわち、それは呼吸であり、鳥と岩の合体といわれるアメノトリノイワクスブネは呼吸する生きた岩であり、生命の循環作用である呼吸は宇宙船の科学の神髄でもあります。
 そして、その循環科学を古代人はサヌキとアワの収縮と膨張で表わしていました。

 私は、天日鷲命がアメノトリフネ、つまり、天空船そのものではないかと考えています。スメラミコトを天日鷲命の背中に乗せて世界中を天翔けて交易していたのです。
 その仮説に照らして、古史古伝や遺跡など、あらゆるものを考え合わせていくとそれが次第に利に適ってくるのです。
 天日鷲命が天空船だとすれば、天空船自体が意識あるいはメモリーをもっていることになり、イムベはこれを物理的に操縦する必要がなくなります。
 天空船と一体になるのは、スメラミコトであり、イムベは祭祀場にいて神事を執り行うことで霊的な遠隔操作をして、天空船の離発着からメンテナンスまでを担当していた多次元的なエンジニアだと考えられるのです。天空船のメンテナンスを担当していたということは、天空船の正体であり天日鷲命のサポートをしていたということになりますから、その後にイムベの末裔である忌部氏が天日鷲医の越智を祭神にするのも当然の流れになります。
 したがって、天日鷲命は、アメノトリノイワクスブネや天鳥船、または天空船などと様々な名前で呼ばれていた神格化した「生きた宇宙船」そのものであるといえるのです。

 京都市北部にある鞍馬山は、昔鞍馬天狗がいて牛若丸が武技を習ったといいます。
 天狗は呪術的にも麻の葉と関係があるといわれ、忍者は跳躍力を養うために大麻草を飛び越える練習をしたとあるように、天狗も忍者も大麻と関係が深く、ここにもイムベのシャーマニックな叡智が伝えられています。
 その鞍馬山の中腹に鞍馬寺がありますが、鞍馬寺には六芒星の模様の庭があり、六百五十万年前に「サナトクマラ」という金星人が降臨したという伝説も残っています。
 鞍馬寺にある地下空間は不思議な空間で、シャンバラにつながっているかと思えるほどです。その鞍馬寺に隣接して貴船神社があります。貴船神社の境内には磐座が残っていて、そこには小さい石を船形に積んだ石積遺跡があります。貴船神社の賛同に沿って小さい神社がいくつかありますが、ある神社の前に二人三人が座れそうな船の形をした石が置いてあって、昔どこからか飛来してきたという伝説が残っています。 
 これらを見ていると、貴船神社も天空船を誘導していた管制塔であったと思えてきます。貴船とは貴人の船とも貴方の船ともとれますが、いずれにせよ天空船をモチーフにしたものだと思います。その天空船が離発着していた場所が、鞍馬寺の裏山にあたる魔王殿の周辺にある磐座でした。
 鞍馬寺と貴船神社に見られるお寺と神社の関係は、四国の八十八箇所においても、神域を守るようにお寺が建てられたことと対応しています。

 縄文文化は天体祭祀の民族で、濃厚的作業を営みながら特殊な能力を有していました。自然の神奈備山を利用し、ピラミッドを建設して、上下水路を構築し、薬草や鉱物のことを充分に熟知しており、天体のサイクルや自然の理を把握していました。
 諸惑星の子横転周期も自転周期も三角関数やピタゴラスの定理も当然のこととして理解しており、とんでもない桁数の計算も行っていました。物質お使用するテクノロジーではなく、物質をもたなくても機能的に循環したテクノロジーをもっていたのです。
 農耕文化は、たいよう の動きや天体のめぐりに基づき天候を知る、つまり、日知り(聖:ひじり)ということが重要で、雨ごいの儀式や祭祀を行い、五穀豊穣を祈願し、循環のバランスをとり、「農」と「神」とは一体であることを認識していた文化でした。それが現代に伝わって、お祭りは収穫祭と連動しているのです。
 祭は、罪穢れを払う行事であり、「麻吊り」と同じ意味を持ち、人間から魔をとって人になり、日(ヒ)を統合(ト)した完全な存在ということになるのです。
 お祭りでは、御幣などに大麻千伊井を使用したり、大麻の素材を利用することで、邪鬼を祓い、祭の安泰を約束することなどに活用されていることからも大麻とお祭りの深い関係性をうかがわせます。
 縄文時代は、一般的に数千年前の頃と認識されていますが、もちろんその縄文時代も存在していました。しかし、超古代にも縄文時代のような時代が何回もあったと考えられます。その都度、文化の形態は類似しながらも少しずつ違っていきました。
 したがって、歴史的に示されているような縄文文化よりも、もっと高度に進化した縄文ムー文化も存在していたと認識しています。
 縄文文化は世界的には、エジプトやマヤ・インカの文化、ネイティブアメリカン、ハワイ、ケルト、シュメールなどに共通しており、太陽信仰に根差していました。
 マヤ・インカでは縄文遺跡と同じ形態の遺跡や土器が発掘されていま。他にも、ナスカの渦巻き形井戸と徳島市の栄螺(さざえ)の泉のように世界中の出土品や遺跡に共通性がみられます。
 このような縄文文化は、天体とつながった文化であり、その根源的な文化がスバル(プレアデス)文化でムー文明とつながる文化でした。
 ちなみに弥生文化は、そのルーツがカシオペアのアトランティスの文化で、ものを上手に使って文明を発達させていく文化でした。アトランティス文明は、水晶を多方面に利用して、調和的に物質を発達させた文化でした。現代の文化は、弥生文化の流れのもとに発達した結果、物質主義に片寄りすぎ、心を忘れた物質文明に進んでしまったのです。物質主体の文化は左脳の働きに属しています。
 農耕的な天体祭祀武運化は直観型であり、右脳の働きに属していますから、物質に対し、エネルギーを発達させた文化でした。
 人類の文化は、物心両面が必要で、両極にある文化を振り子のように、今まで何回も交互に繰り返して学んできました。脳もバランスが大切で、左脳を発達させた現在の文化の後は、右脳を発達させる芸術的文化に移行していくことも自然なことです。それにより、右脳と左脳のバランスがとれてきます。現代は、ムー文明が活躍する状態にシフトしているようで、そのためにプレアデスや縄文などの精神がクローズアップされているようです。
 縄文文化から生まれた縄文芸術は、世界中にその痕跡を残し、未来の惑星社会に必要な共鳴していた太古の地球の記憶を発信しているのです。

 縄文文化がルーツであるマヤ・インカをはじめ、ペルー、ブラジルの広範囲にわたって、きのこ石やきのこと関係する絵画などの縄文芸術が多数発見されています。
 日本でも秋田県鹿角市の大湯環状列石(ストーンサークル)でも、きのこ型の石が出土していますし、きのこ石は、日本のマラ石やメンヒル、世界的にはファリックストーンと共通する生命エネルギーの発生ポイントで発車装置としての意味をもっています。
 たとえば、マヤ人は大麻や薬草以外にも神々の肉といわれる「テオナナカトル」と呼ばれる精神作用のあるマッシュルームを儀式にも使用していました。
 テオナナカトルはサイコアストロノート(精神世界の宇宙飛行士)の精神的な乗り物と考えられていて、これを使い多次元世界へ精神旅行して自らの生き方や一族の方光栄を知るための神事に使用していました。
 きのこが男性性なのに対し、大麻は女性性であり、大麻も精神飛行の祭祀にかつよう することで受信の役割、すなわち、着地するための依り代としての使い方ができることから、テオナナカトルもサイコアストロノートとしての乗り物、つまり、内なる宇宙船につながるものなのです。
 釈尊が体得した神通に天眼通や神足通をアートとして画いたのが、蓮のうえに浮く姿ではないでしょうか。悟った人というのは、永遠の今の中に生きることによって、あたかも何かに乗せられて移動しているような状態を体得しています。
 昔は、みんなが罪穢れが払われた意識をもっていて、集合意識が軽かったので石も重いという世界ではなく、石はもっと軽い次元だったのでしょう。したがって、人間の意識と対応したレベルで石もうごかしやすかったのです。
 要するに、重力も軽く、人も石も浮いたような状態になっていて、天日鷲命を祭神にしていたイムベも半分浮いて移動していいたと思います。
 人の層ねんも調子が悪いときには重くなります。病気を患ったときなどは立っていることさえ困難になって寝てしまします。しかしながら、調子のいいときには軽く、半分飛んでいるみたいに疲れないので、山の上でもピョンピョン飛んでいけそうな感じになります。「飛ぶ」ということが科学的に認められていないこの文化の中でも、心が軽い思いというのは明確な意識として感じられます。
 過去を後悔している人は重い。未来を心配している人も重い。しかし、心肺も公開もなく永遠の今を生きている人の心は軽くなります。
 エジプトの壁画に死者の魂と一枚の羽毛の重さとを測り比べているパピルス画があります。
 オリシス神が臨席する審判の場に死者が引き出されて、軽量が行われているものです。
 天秤の一方の皿には、マアトトの羽毛をのせ、もう一方の皿には胸から転げ落ちた心臓がのせられるのです。心臓は生前の両親の象徴です。天秤の目盛りを読むのは運命の神で、罪重き心臓ともなれば、その霊は即座に断たれてしまいます。
 今の人たちにとって、心が羽より軽い状態は難しいかも知れませんが、古代エジプト人たちの心の重さは羽毛と比較できるほど軽いレベルであったということです。あるがままで精一杯生きようとしている人の心は非常に軽いから、どこへでも行ってしまいます。これを現世的にも「あの人は飛んでいるようだ」と言いますが、このちょっと感覚的な言葉にも的を射ていることがあるから日本語の音は面白いのです。
 古代の謎解きは、意識の概念がはずれることで閃いてきます。とすれば、言霊の謎解きは、サトリの世界に通じるものかもしれません。考えからそれまでの概念からはずれない、心の空を集めて自分の考えを消したとき、空間からの想像力がポンといって生まれてきます。日常の幻影を越えた中にこそ人生を楽しく生きるコツがありそうです。
 罪穢れは祓われて軽くなり、振動数が高くなる延長戦上に、もっと自由な次元である浮遊、テレポーテーションの世界が存在するのです。

 役小角がテレポーテーションしたという伝説が残っていますが、役小角がそれを可能にしていたのは、永遠の今を生きることでワンネスの次元を完全に体得していたからでした。 
 役小角の時間軸には永遠の今しかありません。永遠の今しかなければ、「いつ」とか「どこ」とかいう理解にはなりません。
 たとえば、ものを創るとします。今の三次元の時間認識は直線的になっているので、いつ施行している完成かということになります。
 しかし、「イマココ」を生きて時間を超越している人が建造物を造れば、今ここしかないのですから、アッという間にできてしまうことになります。
 今の時代、私たちの文化は重くなっています。しかし、超古代の石を動かしていた時代は、人間の意思と石は連動して岩が動いたと考えられます。瞬間的に位置する意味を考えてみると、すべてがワンネスであり、ワンネスの意識になっていないとできないことです。
 ワンネスの意識は、宇宙の状態を非常によく理解しており、心も軽く周波数も高くなっていて、どこの位置もここという意識で任意の場所に物質化したのでしょう。それを人間のレベルで体得していた役小角行者は、大島から毎夜富士山に遊びに行っていたと伝えられています。最初は竜にサポートされて富士山に行っていましたが、体得が進むにしたがって、竜もいなくなったといいます。
 役小角は、千三百年程前の呪術家で葛木山に住んでいましたが、弟子の韓国連広足(からくにのひろたり)の讒言で六九九年に伊豆大島に配流されてしまいました。そして、二年後に許されて島を出たと伝えられています。大島には、その時に役小角が修行したという行者窟が残っています。
 役小角は鬼人を使役して、葛木山から金峰山の間に掛けさせたり、色々な山に入って、金剛蔵王権現を感得したりしたことで修験道の始祖として崇められています。
 こんな話を聞いたことがないでしょうか。
 臨死体験をすると時間や空間に束縛されないリアリティが現れてくるということを。
 これは交通事故に遭った人の体験談ですが、「事故にあった瞬間に肉体から意識が出てしまいました。すると、その意識の自分が横たわっている自分の肉体を客観的に見下ろしているのです。周囲の人も大声で呼びかけています。そんな状態を見ていたたまれなかったこともあり、自分の意識の中で生まれ故郷を意識した瞬間に周りの景色が変わって、意識の自分は田舎にいたのです。」
 ここにも、テレポーテーションの科学のヒントがあると思います。時間と空間に束縛されていない領域に意識があることで、思った場所が、いまここに来てしまうのです。

 テレポーテーションののメカニズムというのは、時間と空間に束縛されない次元領域を活用し、時空シフトするということです。
 天空船とは時空間を移動する乗り物であり、その空間は宇宙と一体のワンネスの次元になっていて、どこへでも行けることになります。
 この世は、すべて自分の意識の現われと考えれば、意識が意識したところに位置(一致)するといいうことになります。
 宇宙船の科学の究極は、この肉体が宇宙船になることです。
 人間は、この地球上で肉体をつくり出した高次元のエネルギー、つまりスピリットですから、元来そのような能力を持ち合わせていたはずです。永遠の今という境地を生きている人は、ひとつの世界になり、肉体が宇宙船となって、アッという間にいろいろな所に行くことができてしまいます。 
 昔は何かを始めようとしたときには、企画や計画をたて、それに基づいて行動をするのがあたりまえでした。しかし、現在はシンクロニシティーというか一種のテレパシックな作用に基づいて直観的に行動していくなかで、あたかも遠隔で打ち合わせをしたかのように、適切な時期に適切な人に出会って物事が進んでいくという合理的な世界になってきました。
 このような高次元の意識で、ものを創ったり、行ったりしたときには、従来のようにあれこれと手順をふまなくてはならなかったことも省略できて、非常に楽しく、まるで魔法のようにでき上ってしまうのです。
 ワンネスの世界、つまり、素粒子の世界や高次元の世界では、テレポーテーションや物資化は、あたりまえの現象なのです。そして、そのような高次元のエネルギーを活用することで、地球文化も飛躍的な進化をとげますが、高次元のエネルギーを調和的にい活用するカギは、平和に基づく人類の高次元の意識なのです。

 スメラミコトの叡智の中で、「水・塩・麻」のエネルギーは、完全三位一体の法則として、シリウス星系や琴座などの様々な星を経由して、約五千億年とうレベルで敬称されてきたエネルギーです。
 ビッグバン宇宙の始まりが約百五十億年前、地球の始まりが約四十六億年前と普通はいわれています。しかしこれは、三次元に物質化された宇宙であって、宇宙はさらに高次元がいくつも重なって、次元上昇をしながら低い次元とつながりサポートし合っているという宇宙の循環システムがありますから、五千億年という天文学的な年代は、そのような多次元的な要素を含んでいるといえます。
 今の次元は物質文明ですが、五次元以上になると物質文明より精神文明の方が主流になってきます。その領域には、私たちの肉体とつながったエネルギーも存在していますから
高次元の世界では宇宙はワンネスになっているのです。
 ワンネスとは、「ひとつである」ということですが、この宇宙は、すべて相互におりなされるタペストリー(模様や風景などを織りなす織物)のような、ひとつの存在であるといえるのです。つまり、宇宙はひとつの生命体であり、地球と金星とスバルをはじめとした各々の天体は惑星間ねっろワークでつながっています。したがって、自分の体の部分部分の違いをひとつの肉体意識で認識するのと同じように、金星やスバルもワンネスの一部として認識できる意識の次元が存在するのです。
 この地球に太陽系外のスバルやシリウスから、高次元のエネルギーとして、直接飛来してくる形態もありますが、金星などを経由してくる形態もあります。その違いは何かといいますと、金星は同じ太陽系に属していることと地球から近く姉妹のような関係性から宇宙的にみれば価値体系が似ているのです。
 たとえば、シリウスから直接飛来すると地球上では適合しにくいものが、金星を経由してくることで地球に適合しやすい状態に調整されて理解しやすいものになります。その意味でも大麻は地球上では適合力と多様性に優れており、金星を経由してきていると考えられるのです。 
 古代イントの聖典「リグ・ヴェーダ」に登場する「ソーマ」に代表される精神性植物は、鳥が金星からもたらしたといわれ、天日鷲とインベの関係や縄文マヤのケツアルコアトルと金星の関係性からも大麻の金星経由が裏づけられます。ちなみに、大麻のクオークエネルギーの発祥は、水の波動の共通性からも宇宙の源泉であるシリウスと考えられます。
 地球が今、パラダイムシフト、つまり、次元上昇という星レベルの成人式を迎えて、子供から大人のエネルギーに移行していく過程にありますが、金星はすでに、次元上昇を経験していますから金星(ビーナス)は地球(ガイヤ)を全面的にサポートしてくれているのです。
 したがって、金星を経由してきている大麻は、もともとが調和した存在なのです。
 このように惑星間レベルで、あらゆるエネルギーがコミュニケーションをとっていますから、地球上の生命体も、そのルーツは様々な惑星から来ている可能性があります。
 天体祭祀文化をもっていた古代人の宇宙観は、天体が内なる大宇宙につながるナビゲーションシステムであると知っていましたし、生態系を惑星間でとらえた「惑星間生態系ネットワークシステム」として認識していました。

 大麻は、シリウスを期限に様々な星を経由して適合してきた調和のエネルギーを内在した存在ですが、シリウスから直接飛来してきているものに、「イルカ」や「きのこ」があります。これらは、多次元的な存在形態をもち、非常にユニークな宇宙的生物といえます。
 たとえば、きのこの育つ形態を見てみると、前の夜に幼菌として五ミリくらいであったきのこが、翌朝には五センチくらいに育っています。これは地球上の他の生物と比べても著しく成長が早いのです。半分物質化といっても過言ではないくらいの成長率です。もし、これを人間や動物に当てはめてみたとしたらとんでもないことに気がつきます。朝植えて芽が出たものが、次の朝には何メートルにもなっているというような育ち方です。
 イルカも地球上に溶け込んで適合していますが、意識形態はテレパシックで水の中に住んでいると同時に陸地にも住んでいる感じがします。 
 たとえば、オーストラリアのっ先住民族でエアーズロックを中心に生活しているアボリジニは、アボリジナルアートの中にイルカを鮮明に描いています。しかし、彼らは海とは接触していないし、現実的にはイルカを見てはいないのです。イルカは、この三次元に肉体を有して住んでいながら、同時に多次元的な領域にも住んでいることをイルカ自身も知っているようです。
 アボリジニもテレパシックな生活をしていて、遠くにいる人と意識でつながることができます。イルカともコミュニケーションをとることができて、イルカのメッセージを陸地の内陸部にいながら感じています。
 アボリジニの教えでは、イルカは現象的には海にいても潜象的には、この陸地に意識体として存在していて、海のことも全部イルカに教えてもらっているというのです。イルカは海のことを知っていてあたりまえですが、陸のことも全部知っています。
 イルカはシリウスから直系で来ていて、地球の価値体系も充分理解しており、我々より高度な次元に住んでいます。シリウスは金星よりさらに深遠な星で、光の水の波動を有する銀河の源泉といえる星です。
 イルカや鯨は、地球上では水中に住んでいますが、それはイルカたちにとって、この形態が地球をサポートする目的にいちばん適しているからです。 
 きのこも、そのほとんどが水であり、人間も含め地球自体水の惑星ですから、シリウスとは母子の関係に似ています。
 水は電磁波の影響も少なく、すべてネットワークでつながっています。鯨なども海の中に住んでいますが、地球中の生命体とコミュニケーションをとっています。
 地球上に存在している生命体は、現在の地球の意識に適合して物質化していますが、もともとは、宇宙にあまねく存在していた愛の結晶体であり、ワンネスの次元から飛来してきた、宇宙生命の光の種子たちなのです。

 宇宙はそもそも一体であり、段階的になっているわけではありませんが、宇宙の自然のサポ―トシステムについて、わかりやすく数字(奇数)を使って説明します。
 たとえば、一段階、三段階、五段階、七段階という星があったとします。七段階の星は一段階の星
には、なかなかサポートすることができません。七段階のエネルギーが一段階のエネルギーを直接サポートしてしまうと、三段階と五段階の意味がなくなってしまうからです。七段階が一段階を直接サポートすることもあるのですが、基本的には、すぐ上の段階が、すぐ下の段階をサポートするという段階的なサポート体系であれば、進化するときにすべての段階が平等にステップアップするので各々の存在理由が生まれます。
 たとえば、地球が一段階だとすると、三段階に金星があり、五段階にスバルがあり、七段階にシリウスがあるといった形態ができて、シリウス・スバル・金星・地球と段階的に飛来してくることで各々が学べることになり、すべてが効率よく、合理的に進化していきます。
 もし、七段階の存在が一段階の存在をいきなりサポートしたりすると、一段階には受け皿が出来ていません。したがって、その状態では降りてこられません。しかし三段階の人たち、たとえば、金星の人たちは価値体系も似ているし、人間型生命体に近いので人間が必要以上にびっくりしない、やさしい状態でサポートが行われます。しかしながら、緊急の場合には、びっくりというカルチャーショックが必要になることもあります。 
 あまりにもずれてしまった意識を有してしまったときには、一気に調整しようとする作用が生まれるのです。
 あまりにも人間が本質のエネルギーからずれてしまい、エゴ的な意識で文化を形成していると災害が起こったりします。個人的にいうと事故やアクシデントが起こります。それによって、たとえば、臨死体験という強烈な体験をして、カルチャーショックを受け本当の愛に気づく場合もあるのです。
 あまりにもずれ過ぎてしまったときには、いっぺんにサポートするということも、宇宙の法則として許されているのです。しかしながら、基本形態は愛と調和であって、立体的にサポートし合う仕組みができているのです。
 このように、相互に理解し合いながら相互に進化していくうえで、宇宙の基本はサポ―ト体制になっているのです。宇宙には法則性があって、この宇宙の意思に則った行いをしていると、宇宙からサポートが得られ循環機能してくるのです。
 それは、あたかも何か大いなるものに乗っているかのような安心の状態であり、いってみれば、大船(宇宙船)に乗っているということなのです。

 宇宙のエネルギーが、この地球のエネルギーに適合して降りてきて、初めて人という形態で現象化します。赤ちゃんが生まれるのも同じ形態であると思います。
 地球に存在していた民と飛来してきた民との違いはありました。神道文化的にいえば、天津神と国津神の違いですが、この違いは基本的に許容範囲内になっています。許容範囲内でなければ降りてこられないし、振動数が違いすぎれば適合できないからです。
 たとえば、地球の民が一段階であれば、同調してくる人たちは、許容範囲内である三段階が基本になっています。
 今の文化では宇宙人がなかなか人類には認識できませんが、精妙な意識が人に認知されないというのは、我々の駐豪意識の振動数があまりにも低くて、意識が違いすぎているからです。現在の文化で、たとえば、テレポーテーションを取り上げても、そんなことは無理でしょう。科学的ではないでしょうという意識が台頭しています。
 そういう意識が台頭していれば、起きるはずもありません。要するに意識が柔軟ではないことになります。我々の集合意識は、良い悪いということではないのですが、固定観念でつくられた柔軟ではない意識の世界になっています。その社会では、どうしても五次元の世界とアクセスすることが難しいのです。
 しかしながら、様々な物質的成長を経験し、それにともなった健康悪化、環境破壊という今の地球を体験してきて、肉体だけが自分だという思いから、肉体だけでなく心の世界の重要性に各々が気づき始めています。これは意識の振動数が上がってきた状態であって、宇宙のエネルギーといった存在と関与しやすい状況になってきているのです。
 柔軟な意識で物事を信頼する人たちは、宇宙の振動数に近い周波数をもった人であって、宇宙のエネルギーを感じることができます。
 ある人は宇宙船を見た。しかし、ある人は見えないといいますが、三次元のサイエンスで賛否両論しているのも本質的には意味のないことです。
 見える人と見えない人が同時に存在することもあるわけで、つまり、テレビの受信と同じで、この人は宇宙船の見える意識の周波数にチューニングしているのに、もう一人はもう少し低い周波数にチューニングしているという違いになってきます。
 コップに水が半分入っていたとしたら、半分も入っていると思う意識と半分しか入っていないと思う意識があり、これは同じ現状なのにぜんぜん現実が違ってきます。半分しか入っていないと思えば少々残念になり、パワー不足になります。しかし、半分も入っていると思うと気持ちもポジティブになって、次の行動のエネルギーが増します。
 このようなことで、人間の意識の振動数は一定ではなく、瞬間瞬間に変化しているのですが、その人のもっている大体の振動数が地球上の経験によってつちかわれていきます。それが地球上での人類共通のスタディであり、宇宙から見た地球という共生進化の実権センターの意味に通じてくると思います。
 世界に残る超古代から存在した宇宙文明の痕跡と大麻のもつテクノロジーの関係は、地球が進化していくうえで宇宙とつながるためのパイプ役となります。
 そして、世界の文明がひとつになり、世界平和が実現する時、宇宙文明の扉は開かれ、宇宙時代の幕は切って落とされることになるのです。

※「四の章 古代倭のはなし」へつづく